「何してるの、こんな所で」  数日前から続く雨は、強くなったり弱くなったりと、その強さを変えながらいつまでも降り続いている。  閑静な住宅街の一角にある小さな公園。申し訳程度の遊具があるそこには、人気がない。ただひとり、青年が声もなく空を見上げていた。 「帰るよ」  応えを返すことなく佇む青年に近付いた男は、蝙蝠傘を青年に差掛け、視界を遮る。途端漏れる吐息に男は口端を緩ませ、その腕を引いた。踏鞴を踏む青年に、男は眉を顰める。 「ほら」  茫洋とした瞳が、男を映す。ひとつ、ふたつ、みっつ。瞬きをした後、青年はこくりと首を縦に振った。

「全く、毎日毎日鬱陶しい」  時折ふらりと傘から出ようとする身体を引き寄せ、男は半ば引き摺るように青年を連れ行く。時折足が泥を跳ね上げるのにも、靴が湿った音を立てるのにも、肩を濡らす雫でさえ、男の苛立ちの原因と成り得る。 「雨が上がれば蒸し暑いだろうし」  この長雨が明ければ、本格的に夏がやってくる。近年記録的な暑さを更新し続ける報道を予感してげんなりする。ただでさえ、身体にまとわりつくようなこの湿気に辟易としているのだから。 「そういえばこの間頼まれた仕事、何でこっちに来たのかなあ」  先日頼まれたのは雑誌に掲載されるコラム記事だ。特段政治やら経済やらに詳しいわけでもないにも関わらず、何故かお鉢が回ってきてしまった。向いていないから、と何度言ったところで聞き入れてもらえず、受けざるを得なくなってしまった。 「勉強したくないんだけど、どうしてこうなったんだろう」  お題にされていることはニュースで見聞きする程度のことしか知らない。そんなズブの素人に何をさせようと言うのか。曰く、ズブの素人だからこそ。しかし、中途半端に的外れなことでも書けば、大変なことになるのは分かりきっている。 「そういうの、アンタの方が詳しいと思うんだけど」  男は、己が引き摺る青年を見遣る。相変わらずどことなく焦点の定らない瞳が何かを探し求めるように彷徨うのを、腕を強く引くことで注意を向けようとした。しかし、結局青年は踏鞴を踏んだだけで、その瞳が男を映すことは終ぞない。 「ああ、夕食は何だろうなあ」  ひどく冷えてしまったので、温かいものは身に沁みるだろう。この際、夕食はシチューか何かでもリクエストしてみようか。いや、冷えたとはいえ、暑いことに変わりはない。鍋も捨て難いが、土鍋は先日棚の奥底へしまってしまったのだったか。  誰に言うでもなくぽつりぽつりと言葉を落としていると、小さな吐息が聞こえた。 「うん」  吐息とともに落とされた言葉は雨に掻き消されて聞き取れなかったが、なんでもないように肯定を返す。階段を上がり、鍵を開けて濡れた身体を玄関に押し込めた。傘を畳み、玄関脇に立てかけた。 「待ってて」  自分の格好を改めて認識したのか、室内に入ったことで冷えた身体を認識したのか。それとも、この状況を認識すらしていないのか。大人しく立ち尽くしたままの気配を感じながら、タオルを取りに行く。風呂のスイッチを入れた後、あれもこれもと数枚抱え、自身の身体もざっと拭いながら玄関へ戻った。  佇む頭にバスタオルを広げて被せ、床にタオルを敷いてやる。動く様子がないのをいいことに、三和土に座らせ、その頭を少しばかり乱暴な手つきでかき混ぜる。あらかた乾いたところで、靴を脱がし、抱え込むように立ち上がらせる。  動く気が全くないことを示すかのようにぐったりとした身体をどうにか風呂場まで引き摺り、服を脱がせて洗濯機へ。半分程貼られた湯船にその身体を漸々放り込んだ頃には、自身の服も水を吸ってぐっしょりと重く濡れてしまっていた。 「ああ、もう」  張り付くシャツを四苦八苦しながら脱ぎ、ついでに洗濯機を回す。浴室の扉を再度開ければ、ぼんやりとした様子の青年が浴槽に懐き、舟を漕いでいる。そうしている間にも浴槽の湯は増えているが、溺れることはなさそうだ、と判断してシャワーを頭から被った。  熱い飛沫が身体を伝って行くのに、芯から冷えてしまっていることを自覚する。こっれは益々温かいものを食べなくては。作るのは自分ではないのだが。ひと通り全身から泡を流したところでぎょっとする。 「……なに、してるの」  湯船に懐いていた青年が、いつの間にか仰向けでこちらを凝視していた。思わず声をかけても応えはない。ばかりか、ぴくりとも動かない。こちらに合わせて視線が追ってくるところを見るに、意識がないわけでもないだろう。  こちらを認識したことを喜ぶべきか、はたまた自分の意思で動けるようになったことを喜ぶべきか。判断に迷いつつ、青年の目の前にしゃがみこむ。それから、無言で視線を合わせること暫し。 「……あー……ちょっと目を瞑ってな」  根負けした男は、その態度とは裏腹に丁寧に青年の髪を洗ってやる。うっとりと目を閉じる青年が浴槽に沈まないように注意しながら、湯が目に入らないように額に手を当てて濯いでやった。 「はい終わり。ちょっと詰めて」  手を離した途端に沈みそうになる身体を支え起こし、浴槽との隙間に身を滑り込ませる。辛うじてあるらしい意識を今にも放棄しそうな青年に声をかけつつ、随分と温まった肢体を抱え直した。 「ちょっと。寝ないでよ」  ぐんにゃりと体重を預ける青年の頬を叩く。流石に意識のない人間を抱え上げるのは辛いものがある。 「……ねえ、一緒、に……」 「一緒でもなんでもいいから、とりあえず布団まで起きてて!」  すう、と眠りについた腕の中の青年に、男は頭を抱えた。