降り注ぐ桜雨ををものともせず、ぱたぱたとふたつの小さな影が駆けていく。揃いの空色のスモッグに、黄色い帽子とポシェット。しっかりと繋いだ手を高く掲げたり大きく振り回したりしながら、きゃらきゃらと楽しそうな笑い声を上げて。  そんな様子を、ぼんやりと窓から見下ろしていた青年がひとり。頬杖をつき、微笑ましそうに。しかしながらどこか遠く、その様を見ていた。

* * *

桜並木の下を進む、小さな影がふたつ。あちらこちらでしゃがみこんで、道を忙しなく進む蟻の行列を眺めては、落ち葉で行く手を阻んでみたり、蝶を捕まえて、指についた鱗粉をシャツにこすりつけたりしていた。  前髪を大きな赤いボンボンのついたゴムで結んだ少女が、気が付いたように声を上げて立ち上がる。足元で青いTシャツを着た少年の背がそれにびくりと震え、つられるように顔を上げた。 「チャッキー!」 「……うん」  少年は気乗りしない様子でひとつ頷くと、ゆっくりと立ち上がる。何度も何度も足元の蟻の行列を振り返りながら、傍の少女と手を繋いだ。 「りょうくん、いこ!」 「……いるといいな」 「うん!」  片やウキウキと足取り軽く、片や心持ち足取り重く。仲良く手を繋いで向かった先は、ポップに店名が装飾された大きなおもちゃ屋だ。自動ドアをくぐれば、見上げた視界いっぱいに所狭しとあふれんばかりの色が飛び回っている。  ふわふわで、抱えても余りそうなほど大きなぬいぐるみたち。くまも、うさぎも、ぱんだも、お気に入りのキャラクターも。そのどれもが、楽しそうな表情で、小さなふたりを見下ろしていた。 「あ!」  目当てのものを見つけたのか、少女が嬉しそうな声を上げる。レモン色のカーディガンから伸びる手が繋いだ手をぐい、と引く。たたらを踏んだ少年に、デニム地のスカートをふわりと翻して向き合った。 「りょうくん、はやく!」 「みずき、まってってば!」  そうして、少女は再度繋いだ手を引く。少年は半ば引きずられるように、癖の強い髪をふわふわと揺らしながら後に続いた。少しばかり奥まったコーナーまで来たところで、目当てのものの近くに辿り着いたのか、急に足を止める少女にぶつかりそうになるのを慌てて足を踏ん張って留まる。文句を言おうと少年が顔を上げれば、少女が目を輝かせて棚の上を見上げていた。 「かわいい……!」  文句に詰まる少年は、その声につられるように視線を移す。そこには、数体の人形が行儀良く箱に入って並んでいた。 「なあ、みずき……ほんとにあれにするの?」 「うん! おにいちゃんもぜったいすきだもん!」  ふたりが見上げる先、黄色いかわいらしい箱から覗くその人形は、空のような瞳を大きく見開き、口端を吊り上げて笑みを浮かべている。丸い顔に朱の差した柔らかそうな頬は、材質なのかつるりとした光沢を放っていた。反して、ショートヘアに揃えられているであろう赤毛はボサボサとまとまりがない。虹色の柔らかそうなシャツの上から着たオーバーオールが、新品にもかかわらずどこかくたびれて見える。それは、もしかするとその人形が持つ独特の雰囲気のせいなのかもしれない。  元気な少女の応えに、少年の口からは乾いた笑いがこぼれる。それを無理やり飲み込むと、少年はきょろきょろと辺りを見回し、通路の端で品出しをしている店員に気が付いた。 「おねえさあああん!」 「はい、どうしたの?」  ふたりに気付いて近寄ってきたのは、艶やかな黒髪を後ろで束ね、ハーフアップにしてバレッタで留めた女性だ。制服だろう青いシャツとベージュのパンツを、しゃがんで隠しながらにっこりと問う。 「チャッキーください!」  ぱっと笑顔になった少女が元気よく告げる。少女の口から出た人形の名前に心なしか口元を引きつらせながら、店員は棚から箱をひとつ取り上げると、ふたりに差し出した。 「この子かな?」 「ううん。その隣の子がいい!」 「ええと……この子?」  怪訝そうに見やったのは、先に差し出したものとは似ても似つかないものだった。確かに同じ人形なのは確かだ。確かなのである、が。着せ替えられて服が違うだとか、表情が最初に店員が手に取ったそれとわずかに違うだとか、そんな些細な違いではあり得ない。 つるりと柔らかそうな丸い頬には幾筋もの傷跡が、瞼の上にも、額からこめかみにかけてさえ赤々と走っている。その表情はどこか憎々しげに歪み、愛くるしいはずの空色の瞳、ではなく、目玉がぐるりとのぞいてこちらを睨め付けていた。  店員の手がその箱の前を幾度かさまよい、意を決したようにそれを持ち上げ、幾分か身体から離すようにしながら、その顔を少女へ見せる。 「うん! おねえさんありがと!」 「……うん、ありがとう」 「どういたしまして」  にこりと笑って手渡された人形は、目の前の店員の笑顔とは似ても似つかないように見える。少女が嬉しそうに箱を抱えるのを見て、少年は心ばかりの距離を取った。  レジまで持っていくか尋ねられたが、少女が笑顔で断り、店員に再度礼を伝え、ふたりは並んでレジへと向かう。大事そうに抱えた箱を差し出しながら、レジ台の向こうを見上げて声をかければ、店員がぎょっとしたような顔をした後に、どこか固い笑顔を浮かべながら慎重な手つきで箱を受け取ってバーコードを読み込み、金額を教えてくれた。  少女が背中に背負ったリュックから財布を取り出す様子を、店員がレジ袋に人形の箱を入れながらどこかほっとした様子で、微笑ましそうに眺める。 「あ!」  その様子をぼうっと見ていた少年が、思い出したように声を上げた。 「それ、きれいにしてください!」 「おにいちゃんにあげるの!」 「プレゼント用かな? ラッピングの袋はお金がかかるんだけど、いい?」 「うん!」 「おねがいします!」  元気な声に、店員は変わった金額を伝える。少女からお金を受け取り、レジを叩けばすぐに出てきたレシートとお釣りを渡した。それから、奥に行って何枚か袋を手に戻ってくる。 「袋は何色がいい?」 「緑!」  少女が即答したのに頷いて、人形を丁寧に袋にしまい、リボンを結んでくれた。持ちやすいようにと改めて袋に入れられたそれを渡される。それなりの大きさと重さのある人形の箱は、気を付けねば引きずってしまいそうだ。 「はい、どうぞ。お兄ちゃん、喜んでくれるといいね」 「うん! おねえさん、ありがと!」 「ありがと!」  元気よく挨拶をして、ふたりは並んで店を後にする。何度も何度も袋を抱え直す少女に、少年は声をかけた。 「みずき、だいじょうぶ?」 「だいじょうぶ! もてるもん!」  大きな人形が重いのか、頬を赤らめて一生懸命に持つ少女を見かねて、少年は声をかける。すげなく断られてしまったので、少し考えて、もう一度口を開いた。 「……あのさ、おれもいっしょにあげたいから、はんぶんもつ」 「うん。りょうくん、ありがと」  いいだろ、と少々ぶっきらぼうに少年が口にすれば、少女は嬉しそうに頷き、持ち手を片方渡す。そうして、店へ向かった時とは打って変わり、ゆっくりと袋を引きずらないようにしながら桜並木の下をゆっくりと歩いていく。家はまだ先だ。 「つかれた!」 「あ! ちょっとりょうくん!」 「にいちゃんにさくらもってこ!」  道半ばで、少年が突然少女の持っていたもう片方の袋の持ち手を奪った。よろよろと道の端に丁寧に置くと大きく伸びをして、そのまま手を大きく叩く。  憤る少女の目の前でゆっくりと手を開けば、小さな桜の花びらが一枚、きれいにその手のひらに乗っていた。と、それもあっという間に風にさらわれてしまう。 「みずきもやる!」 「じゃあ競争な!」  途端に目を輝かせた少女が負けじと花びらを捕まえようと手を叩く。しばらくあたりにはぱちりぱちりと音が響いていたものの、ひらりひらりと身をかわす花びらは、なかなかうまく捕まえることが出来ないようだ。 「……とれない! りょうくんずるい!」 「おれだってなくなっちゃったし!」  じんわりと瞳を潤ませる少女に焦った少年は、置いたプレゼントの脇に駆け寄り、少女を手招く。不思議そうな表情の少女が近寄ると、それを二輪千切って突き出した。 「ほら。さくらはとれないけど、たんぽぽはとれるぞ!」 「うん! りょうくん、ありがと。なんでふたつなの?」 「にいちゃんのぶんと、みずきのぶん!」  その言葉に、少女もタンポポを一輪引き抜き、少年に差し出した。 「じゃあ、これはりょうくんのぶん!」 「うん。ありがと」  顔を見合わせて吹き出して。どちらともなく帰ろうと呟く。再びプレゼントの入った袋をふたりで持ちながら、反対の手にはお揃いの黄色いタンポポの花。  母親たちに迎えられての家族ぐるみの誕生日会では、豪勢な料理の脇に、少しだけくたびれたタンポポの花が三輪。丁寧に花瓶に活けられたそれは、絶えない笑い声に合わせて身体を震わせているようだった。      * * *

青年は、引き出しから一枚の栞を取り出す。オレンジ色の台紙に、黄色い花が今も鮮やかに花開いていた。

三日見ぬ間の桜 ーー世の中の移り変わりの激しいこと