次の予約までしばらく時間がある。看護師にそう声をかけられて、休憩室へ向かおうと席を立った。ここ、座途総合病院に勤めてそれなりになるが、総合病院というだけあって患者はいつも引きも切らない。  電灯が反射するリノリウムの床を、かけられる声におざなりに答えながら目当ての部屋の引き戸を開けた。入ってきたのに気付いた数名の視線がよこされるのに手を振り、部屋の隅にある給湯コーナーへ足を向ける。  休憩室とはいえ、扉の外はそれなりに騒々しい。ここにいるのは、疲れ果ててつぶれたの(仮眠室に行けばいいのに)と、きのう入荷したNEJM――ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンという二百年越えの世界的有名週刊医学誌――を暇つぶしに捲っているの(Ⅱ型糖尿病の記事があった気がするからこっちに回してほしい)と、テレビでやっているニュースをぼんやりと眺めているの(どこぞで最高気温を更新したと騒いでいる)くらいだ。どことなく漂う休憩室特有の弛緩した空気に、なんとはなしに詰めていた空気を吐き出す。  インスタントコーヒーの粉を適当にマグに入れ、湯を注ぎ、スプーンでくるくるとかき混ぜながら部屋の隅へ。白衣の裾をさばいて席に座り、湯気の立ち上るマグを傾けた。 「お、お疲れさん」 「またあなたですか。暇なんですか?」 「そんなに休憩かぶる頻度も多くはないだろ。つれないな」 「ああ、間に合ってます」  目の前の席が引かれたかと思うと、茶髪に染めた髪に四角いフレームの眼鏡をかけた同僚がニヤニヤと笑いながら声をかけてきた。満月棘。残念ながら医大時代からそこそこの付き合いになる同僚だ。 「あ、そうだ。最近『頭隠し』っつーのが流行ってるらしいんだけど。知ってるか?」 「は? 暇なら仕事してくださいよ」 「ちょっとくらい興味持てよ」  どことなく不満そうな声に、ちらりと視線を上げて先を促す。気づいたのか何なのか、頬杖をついて露骨にこちらを見上げてきた。 「なんでも、急に頭が破裂するんだと。ただでさえ人手不足なのに監察が全然間に合わなくて、法医もかなり出張ってるらしい。こっちにお鉢が回ってこなくて最高」 「いや、あなた資格ないでしょうが」 「そうだけど。まあ、うちに面倒な患者が来なくていいわ」  のんきにマグを傾ける男に呆れつつ、言葉を返してやる。面倒な気配はするが、気になるものは気になるので。 「私は外科でないのであまり関係はありませんが。それはそれとして、頭が破裂するだなんてどういう現象か気になりませんか?」 「あー、スイカに塩入れると爆発する、みたいな?」 「は? 何言ってるんですか」 「ほら、なんだっけな……熱した塩をスイカに入れると爆発するってやつ。頭でも似たようなこと起きそう」 「それは水蒸気爆発でしょう。脳に直接相当に熱されたものを注ぐなんて、物理的にも精神的にも、普通の人間にはできないでしょうね。まあ、だからこそ気になるんですけれど」 「わあ、さっすが古布森先生。じゃ、今度調べに行ってみないか? 国会図書館にでも行けば、何かしら文献があるんじゃないか」 「その棒読み腹が立ちますが……いいでしょう。楽しみにしていますよ、満月先生」  話がひと段落したところで、向かいの男の胸ポケットからコール音が響く。億劫そうに通話ボタンを押し、返事をしながら飲みかけのマグを押し付けて足早に去っていった。呼び出しらしい。  テレビはチャンネルを変えたのか、夏のホラー特集となっていた。真昼からそんなものを流して、涼を取れるのだろうか。表示された時刻はそろそろ休憩の終わりを示している。自分のものと、押し付けられたマグを仕方なく拾って立ち上がった。   『あ、悪い。今日急患入ったから行けねえや』  待ち合わせに一向に現れない男に送ったメッセージの返信は、予想通りすぎて笑う気も起きなかった。どうせ「オンナノコと遊んでくる」なんてルビがつくに決まっているのだ。