アルバイトからの帰り道、祭囃子が聞こえてきた。シフトは早番だったから、賄いを店の片隅で食べてきたところだ。店長から想定よりも余りそうだから、と持たされた葉付きのとうもろこしを入れたビニール袋がかさりと音を立てる。  どうにもこのまま家に帰る気になれない。ひとりきりで広い家にいたくない。けれど、たくさんの思い出が詰まった場所を誰かに渡したくもない。同居人がひょっこりと帰ってくるのではないか。そんなことを考えては、家から遠ざかることもできず、心地よさを知ってしまったからには赤の他人と体温を分け合うこともできず。  誰もいない家は、冷たいシーツの中で帰ってこない待ち人の無事を祈りながら眠るための場所となってしまっていた。  喧騒の絶えないこの街に紛れることができたならば、少しはこの気分もマシになるのではないかと思い、そちらへ足を向ける。  このあたりで一番大きな神社の境内はひどく賑わっていた。いつもどこかしらでイベントをやっているような街ではあるが、それでも夏祭り、というのはやはりどこか特別な気分になるものだ。  お面にキャラクターの袋に入ったわたあめ、じゃがバター、フルーツ飴、射的、かき氷、焼きそば。様々な屋台が軒を連ねている。  友人同士、恋人同士、家族連れ、誰もが誰かと楽しそうに笑い合っている。ひとりに見えても、きっと誰かと来てどこかで待ち合わせをしているのだろう。夏祭りにひとりで来る人などそうはいない。 「……帰ろうかな」  出口の近くにあったフルーツ飴屋で、何となく杏を買った。じゃんけんをさせられて、勝ってしまったからもう一本持たされた。 「甘いもんでも食べて元気だしな」 「……こんなにたくさん、食べられませんよ」 「冷蔵庫にしまっておけ。明日食べればいいさ」 「……はい」 「また来年もおいで」  固辞をしてもそう言って押し切られてしまった。割り箸に刺さった、透明な飴でコーティングされた杏を齧る。硬い飴がパリパリと砕ける音。その中から、酸っぱい果汁が溢れてきた。それが、飴の甘さをより一層引き立てる。

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「それ、よく食べる気になるよね」 「嫌いじゃないし」 「もしあったとしても、僕はイチゴで十分」  胸焼けしそう、と蛙笠が肩を竦め、持っていたイカ焼きにかぶりついた。まあ、たまにはこういうのも乙なもんだね。

夏祭りがあるらしい、と聞きつけてきたのは青だった。アルバイト先でその話を客から聞き、バイト上がりに行けないだろうか、と蛙笠に打診していたのだ。それに頷いた蛙笠は、陽が落ちても未だ衰えない暑さに辟易としながら青を迎えに行き、こうして会場で食べ物を物色している。  玉垣に腰掛けたふたりは、戦利品を落とさないように並べて食べ始めた。輪ゴムをしてもパックが完全に閉まらないお好み焼きに、皿に乗せられた大きなジャガイモを丸々揚げたジャガバター。それから、お祭り価格の缶ビールと酎ハイ。玉垣自体は石でできているために座ることはできるものの、天井部分が屋根型になっているがためにものを置くことができない。仕方なく、缶ビールと酎ハイはそれぞれの足元に置くことになった。 「これ、すごく食べにくいな」 「何か持ってようか?」 「大丈夫」  青はそう言って、キャベツが想定していたよりも長くて切り分けにくくなっているお好み焼きを四苦八苦しながら食べていた。キャベツがたっぷり挟まれている生地の上にソースとマヨネーズがたっぷりとかかっていて、パックにつぶされるように一番上には目玉焼きと、その黄身の両側に紅ショウガとあおさがたっぷりとかけられている。まさに祭りの定番だ。ボリュームも抜群で、価格も祭りの屋台でなければもっとするだろう。  その隣で、蛙笠は持っているだけで熱をちっとも防がない皿をどうにか持ちながら、丸々としたジャガイモを割る。途端に真っ白い湯気が顔を直撃した。買ってからそこそこ時間が経っているはずだが、そうと感じさせないほどの熱さだ。 「食べないの?」 「熱くてまだ食べられないの」  ジャガイモを割るだけ割って手を付けない蛙笠がビールを傾けていると、青が問いかけてきた。それに端的に返して、食べるように視線で促す。すると、何を思ったのか、青は手に持ったお好み焼きのパックをこちらに差し出してきた。 「何?」 「こっち食べれば」 「いいよ。自分で食べな」 「そう」  それきり、再び視線を落として、青は黙々と続きを食べ進めては目を丸くしていた。中に大きな豚肉が挟まっていたらしい。肉と焼きそばとキャベツの食感を生地がふんわりと包み込み、甘辛いたれが全体をまとめ、半熟の卵がまろやかさを演出するのを、紅ショウガとあおさが引き立てていた。  そういえば、潔癖症のクセに衛生観念もあったものではない屋台飯を、あまつさえ人に食べさせようとするなんて、いったいどんな風の吹き回しだろう。  青が食べているのを眺めながらそんなことを考えているうちに、幾分かジャガイモが冷めたような気がして、蛙笠も手の中のものを口に運んだ。まだ火傷しそうなほどに熱いが、それでもジャガイモ自身のホクホクとした食感が甘みを引き出し、バターの塩味が甘さをより一層引き立てている。揚げた芋特有のパリパリとした皮が香ばしさと食感の違いを生み出していて、バターと油がよく馴染み、さらに相乗効果を出していた。  食べ終えれば、思ったよりもボリュームがあったようでそれなりに腹が膨れたが、ちょうど目の前にある焼きとうもろこしが気になって仕方がなかったため、青に少し待つように言ってから買いに行く。 「芳矢さん、そんなに食べられるの?」 「半分よろしく」 「別にいいけどさあ」  買ってきた焼きとうもろこしを青に渡せば、呆れながら半分に折って片側を差し出してきた。ありがたく受け取ってかぶりつく。とうもろこしの甘みと醤油の香ばしさの相性が抜群で、こんなにうまいものがこの世にあっていいのだろうか、と思う。しかもビールに合う。最高だ。  蛙笠はとうもろこしををかじりながら、時たま口直しと称してビールを傾ける。行儀が悪い、なんて言われても、祭りの場所でそうなるのはどうしようもないことだ、何て軽口を叩き返した。  半分になったとうもろこしはかぶりつけば然程食べるのに時間はかからない。そうしてふたりは再び祭りの喧騒の中に身を投じた。 「あ、りんご飴だ」 「懐かしい。食べれば?」 「丸々一個なんて食べられないよ。あんずにしようかな」 「行ってらっしゃい」  青があんず飴を買う間に、蛙笠は隣の屋台でイカ焼きを購入。焼き上げられた串を片手に既に買い終わっているだろうと青の姿を探せば、未だ飴屋の前にいた。  もともとできているものを買うのにどうしてそんなに時間がかかっているのかと近くに寄れば、どうやらジャンケンの決着がなかなかつかないらしい。 「あいこでしょ!」 「あ、負けた」 「残念でした。ということで一本ね。随分白熱したし、楽しかったよ。また来年もおいで」 「ありがとうございました」 「何やってたの」 「じゃんけん。勝つと二本もらえるんだよ」 「僕はいらないけど」 「そういうシステムなの」 「それ、よく食べる気になるよね」 「嫌いじゃないし」 「もしあったとしても、僕はイチゴで十分」  胸焼けしそう、と蛙笠が肩を竦め、持っていたイカ焼きにかぶりついた。まあ、たまにはこういうのも乙なもんだね、なんて笑いあう。 「じゃあ、そろそろ帰ろうか」 「お腹いっぱいだな」  そこへ、大きな爆発音がする。誰かが空を指差し、歓声を上げた。花火だ。 「お、いいタイミング」 「よく見える所に行こうよ」  夜空を彩る花火を見上げるその顔を、この先もずっと見上げていたいと柄にもなくそう思ってしまった。これからも夏は来るけれど、今年の夏は今だけだから。

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今年も来たけれど、ふたりでは来れなかったなあ、何てぼんやりとしながら帰路につく。帰ったらこのとうもろこしの泥を落としてそのまま電子レンジに突っ込んでしまおう。そうして、これは明日の朝食にする。  遠くで、花火の打ち上げられる音が聞こえてきた。振り返れば、見る場所が違うせいか、住宅街から見上げる花火は随分と狭い場所で寂しそうに見える。  夜空に大輪の花を咲かせているその元は、ここからそう遠くはない神社だ。いつだったか、この家にいたはずの同居人と祭りに行った。あの時は、あんず飴のじゃんけんは負けてしまって一つしかもらえなかったし、醤油の塗られた焼きとうもろこしは半分に折って二人で食べた。  それから、少し離れた小高い丘に上がって、二人で花火を見上げた。この神社の花火はどうしてこんなに綺麗なんだろう、だなんて思っていたけれど、そう感じたのはきっと、あの夏だったからだ。