「ん、祭囃子が聞こえるな」 「ええ、今夜は近くの神社で縁日をやっているようですから」 「ああ、そういえばそんなポスターを見かけたな」 「本日の業務に、そこまで差し迫ったものはありません。行かれてはいかがですか」 「そうだな、たまにはいいか」 外出からの帰り道、赤信号で停車した窓の外から、祭囃子のにぎやかな音が聞こえてきた。時刻は日が暮れた頃。カラフルな提灯の明かりが、行き交う人々の顔を明るく照らしている。入院患者たちにもこの雰囲気を味わえるよう、何か企画をしてもいいかもしれない。今月の企画は何だっただろうか。 一度職場に戻り、緊急の要件がないことを確認してからラフな服に着替える。車を出すほどの距離でもないうえ、会場である神社の駐車場もいっぱいだろう。元基は氷雨を伴って外へ繰り出す。一条寺総合病院の入り口から広いロータリーを横切るだけでも着替えたポロシャツに汗がにじむようで、元基は不快感に眉を顰めた。 「どうなさいましたか」 「いや、どうにも暑くてかなわんな」 「確かに、こればかりはどうにもなりませんね」 ぽつりぽつりと話していれば、先ほど聞こえていた祭囃子が再び耳に届く。このあたりで一番大きなこの神社は、由緒のある立派なものだというが、誰を祀っているのかも、どのような謂れがあるのかも、元基には興味がなかった。 「かなり大規模だな」 「おや、ここの祭りに参加したことはありませんでしたか」 「初めてだな。川沿いの花火大会に一度だけ行ったことはあるが」 「では、楽しみましょうね」 線の細さを強調するかのような、ぴったりとしたパンツに軽くシャツを羽織った氷雨は、やおら笑みを浮かべた。 人でごった返している通りは、気をつけなければすぐに逸れてしまいそうだ。ついているのは氷雨なのだから、元基を見失うはずがない、という自信はある。 残念ながら外出先で軽く食事を済ませてしまったため、目に映るうまそうな匂いすべてに釣られてやることができない。せめて十年若ければまた違っただろうが、そうも行かなくなってしまったのがまた辛いところだ。 「ん、あれをやるか」 「何か欲しいものでもあるのですか?」 「特にはないが。祭りらしいだろう?」 「そうですね」 射的、と的のイラストが描かれている屋台の前に立つ。声をかけて小銭を支払い、コルク弾を五つ受け取った。実弾と異なり、こういった祭り用のライフルは正直調整も何もあったものではないうえ、コルクが真っ直ぐに飛ばないこともあるため、三発は癖の把握をするつもりでいくか、とひとりで決める。 狙うはなるべく大きな菓子詰め合わせと、端にあるウサギのぬいぐるみだ。柔和な顔に泣きぼくろ。どことなくどことなく氷雨に似ているような気がする。 「ああ、あれは少し坊ちゃんに似ていますね」 「どれだ?」 「ほら、あの中段にあるネコの」 「ああ、あれか……似ているか?」 「目元が。性格も、気まぐれなところはそっくりですよ」 「……そうか?」 「はい」 予定変更。菓子の詰め合わせはやめることにする。狙うはふたつのぬいぐるみだ。離れた場所にあるため、練習用の弾が少々心許ないが、まあ何とかなるだろう。 一発目。狙っていたネコのぬいぐるみが倒れた。残念ながら落ちてはいない。倒れた分、落ちにくくなってしまった。失敗した。 二発目。どうやら意気込みすぎてコルクを奥に詰めすぎてしまったらしい。出てこないために銃を別のものと交換してもらった。 三発目。ちょど倒れたネコの尻の部分に命中した。ころん、と転がり落ちたぬいぐるみに、周囲から感嘆の声が聞こえてくる。 四発目。次の狙いはウサギのぬいぐるみだ。これはなんとか一発で綺麗に落とすことができた。残りは一発。菓子でも狙うか。 五発目。力みすぎたのか力が抜けすぎたのか、明後日の方向に飛んでいってしまった。 「はい、おめでとうさん」 「ああ」 カランカラン、とベルを鳴らしながら、落ちたぬいぐるみが渡される。 「しかしお客さん、上手だねえ」 「いや、運が良かっただけだ……一丁ダメにしてしまったしな」 「まあ、よくあることさ。すぐに取り出せるから、あんまり気にしなさるな」 「では、その言葉に甘えよう」 渡されたネコとウサギのぬいぐるみは、メーカーが違うのか、どこかちぐはぐとした印象を受ける。……それにしてもこのネコ、どことなく腹の立つ顔をしていないか? 「お預かりしますよ。これは患者さんにお渡しするので?」 「いや、一つはお前の分だぞ」 「私の?」 「ああ。こっちは僕の分だ」 「……そうですか」 氷雨はしばらく沈黙した後、ひと言絞り出すかのように呟いてご所望のネコのぬいぐるみを受け取った。手元に残ったウサギは、ポロシャツの胸ポケットに詰め込む。 「……お、氷雨、あれはなんだ?」 「かちわりですね。砕いた氷にシロップを入れたもの、でしょうか」 「かき氷と何が違うんだ?」 「あれは、削った氷にシロップをかけたものでしょう。かちわりの氷はあくまで砕いたもの、ですから。そうですね……マクドナルドの氷くらいの大きさです」 「マクドナルドに久しく行っていないのだが……」 「一立方センチメートルくらいです」 「そうか」 具体的な数字に思わず笑った。氷雨は物知りだな、と言えば、坊ちゃんにはかないませんよ、と返される。同じ家で成長してきたはずなのだが、氷雨は僕よりもずっとこういうことを知っている。 「かき氷のように、色々な味がありますよ」 「そうか。僕はブルーハワイにしよう。氷雨は?」 「……では、イチゴで」 縛られたビニール袋に刺さったストローから体に悪そうな色をした砂糖水を吸い込みながら、喧騒の中をゆっくりと歩いていく。提灯の明かりが夜空を見えなくさせているように、氷雨の目に映るものに暗いものも遠いものも映らなければいいのにと、詮ない事を考えた。