盛大に舌打ちをしたい気分だった。否、実際にした。後輩はびくり、と肩を揺らし、周りの先輩共はゲラゲラと笑いながらーーそのくせちっとも笑っていない顔でーー派手に背を叩く。その勢いに転びそうになるのを踏ん張り、元凶を睨みつける。 「おい、俺に当たったところで状況は変わんねえぞ。仕事しろ」 「わかってますよ!」  乱暴にロッカーを開き、必要な物を詰め込んでいく。最悪だ。前々から約束していた。こちとら心底楽しみにしていたのに。それを台無しにしくさった犯人には一発や二発お見舞いしたところで罰は当たらないだろう。最近は色々と騒がしいから、世間様にバレないようにやらなくては。  頭の中で、未だ見ぬ犯人を甚振る算段をつけつつ、コートを羽織る。去年新調したこれは、デートのときに買ったものだ。絶対に汚さない。  次いで、遅くなる旨の連絡を入れようとすれば、大声で名前を呼ばれた。 「そんなに大声でなくても聞こえてます!」  電話は諦め、手早くメッセージを送る。簡単なものになってしまったのが申し訳ない。本来であれば、約束を反故にしてしまうのだから、ありったけの語彙力で誠心誠意謝罪をせねばならないのに。 「それで、状況は?」 「銃を持った男がレストランで立て篭もりだ」 「どれだけ暇なんですか」 「同感だ」  立て篭もりとはまた。長引く予感にうんざりしながらキーを開け、車に乗り込んだ。サイレンのスイッチを入れ、アクセルを踏み込んだ。

野次馬で賑わっている現場から少し離れた場所に車を止める。次々と入ってくる情報によれば、男は先に逮捕された犯罪グループの残党で、その首領の解放を目的としているらしかった。 「今時映画でもないぞ、こんな話」  集まっている連中に話を聞いてみれば、当初の想定よりも多く武器を所持しているようで、下手に爆発させるわけにもいかず、対応に苦慮しているようだった。 「そんなの、ぶち抜いてしまえばいいと思いませんか」 「お前の頭は飾りか?」 「必要なことにしか使わない主義なので」  軽口を叩いていれば、捜査車両に図面が持ち込まれる。建物の構造図だ。然して広くはないが、レストランという特性上、障害物が多く、キッチンには様々なものが置かれている。 「面倒な」  三階建てのビルの二階が件の現場だ。一階と二階はワンフロアを別々の飲食店が使用しており、最上階は倉庫兼事務所として使用されているようだった。店舗に入るためには、エレベーターと階段しかなく、裏口からの突入は難しそうだ。  建物の特性上、入り口から中は見通しが悪い。中二階のある階段を上り、扉を開けた目の前にレジ、入り口と対角線上に調理場兼カウンターテーブルがある。L字型に配されたカウンターの席は六席、折れて二席。その後ろにテーブル席が四席、折れて二席配されていた。入り口の反対側、カウンターの奥にはスタッフルームとトイレが並んでいる。実際の細々とした配置は、中に入らないとわからないだろう。  丁度、犯人グループを刺激しないように、下階の客を避難させたところだという。 「警部。良い知らせと悪い知らせがあります」  狭い車両に男が乗り込んできた。目でここにいろ、と合図される。それに頷いて答え、これを聞いたら外に出ることにした。 「良い知らせは?」 「犯人の身元が判明しました。元より隠す気もあまりなかったようですが」  犯人は三名。捜索中の残党全員だ。もしかしなくとも、これは組対の案件では。今更ながら思うものの、現場に来てしまったからには最低限引き継ぎが終わるまでそのまま帰る訳にもいかないのが残念でならない。 「向こうから出てきてくれるのは有難いこった。それで、悪い知らせは?」 「身元が判明したため、所持しているだろう武器も大まかに掴めたのですが……奴ら、武器の他にも火薬を大量購入していたようでして」 「勘弁してくれ」  先輩に心から同意する。勘弁してくれ。犯罪者の親玉を放逐する訳もないが、一般人を巻き込むな。お前らだけで穏便に訴えてくれ。もしくはせめて警察だけにしてくれ。  一般人が巻き込まれると面倒なんだよ本当に勘弁してくれ。頼むから絶対に怪我をさせないでくれ、それだけで仕事が倍ドンなんだよ言わせんな。あと後生だから絶対に建物に損害出すなよ書類が増えるから。できれば物品も壊さず、中のものも使わないでくれ被害総額計算するのクソほど面倒なんだよ帰れなくなったらどうしてくれる。いっそ死んでくれ。あ、ダメだ。それはそれでこっちが死ぬほど面倒だ。 「俺、業者当たって良いですか」 「それは大体終わってるんだよ。見られる範囲で中見てこい」 「先輩、それ俺にやらせることです?」 「さっさと行け」  顎で外を示され、仕方なく車両を降りる。何の変哲もなかったはずのレストラン。こんなことがなければ、俺も今頃このレストランで食事にありつけていたはずなのに。規制線の外では野次馬に報道陣にとごった返している。こっちの状況も知らず、呑気なものだ。  一旦車に乗り込み、離れた場所へ向かう。携帯電話は車両に繋げたまま、簡単に打ち合わせを行う。街頭のテレビはどの局も立て篭もり事件の中継ばかりだ。ネクタイを外してシャツを脱ぎ、シワにならないように畳んでから、TシャツとGパンに着替える。無知で無謀な若者に見えるように。服の下には簡易なチョッキを仕込むのを忘れない。  こういった単独行動はどう少なく見積もっても規律違反なのだが、致し方あるまい。罪は先輩が被ってくれる訳だし。犯人を思い切り刺激しに行く訳だが、殺されはしないだろう。否、そういえばこのグループ。テロで何人か殺してるんだった。  電話は通話中。スピーカーにする訳にもいかない。サイドボードを探す。前回そのままにしておいたのがあった。イヤホンマイクを耳に取り付け、携帯電話に接続。完了。ハンズフリーは有難い。髪で耳を隠して仕舞えば、中の音声も拾えるだろう。多分。  そのままメッセージを打とうとして気付く。既読がついていない。スマートフォンに替えたばかりで慣れないものの、どうにかメッセージのやりとりは出来るようになっていた。今日は現地集合だったはず。そして、待ち合わせ場所は紛れも無い、この店だ。  気づいてしまった事実にさあっと血の気が引くのを感じた。もしかすると。否、もしかしなくても、ここに、いるのでは。性悪なテロリスト共に脅されている姿が目に浮かぶ。一刻も早く助けなければ。ならば、この囮兼内偵ポジションは最高だ。  さあ、終わりだ大馬鹿野郎共。無駄な抵抗はやめて、さっさと俺に平伏すがいい。

念のため、二重三重に機具を仕込む。ボイスレコーダー、盗聴器、通信機。通信状況が良好なことを確認する。手伝ってくれた後輩にお互い災難だな、と背を叩きあった。 「ちょっと通して……おわっ!」  野次馬の後ろでぴょんぴょんと跳ね回り、状況を聞き出す。ニュースとほぼ同じ情報が流れていいるようだ。中には中継を見ている者もいる。揃いも揃って暇人ばかりだ。  無知で馬鹿な若者の如く、興味津々で現場を見ようと野次馬を掻き分けていく。俺、マジモンの銃とか見たことねえんだけど! 前行ったら見えっかな? え、中? いーじゃんそれ、ダチ……いや、カノジョと待ち合わせしてることにするわ。勇者じゃね? オネーサン、終わったらあそこでメシ食おうよ。マジ? じゃあ後でな!  諌めるフリをする警察官を押し退け、堂々と件の店に向かって行く。顔出しNGなのだが、わかってもらえるだろうか。そこは流石に規制が入るか。  さて。思考を切り替える。俺は今から、脳みそスカスカなクズだ。

「こんばんはー!」  息を押し殺したような静寂に包まれる店内に、場違いなほど明るい声が響く。軽快に階段を上り、軽やかなドアベルを鳴らした男は金髪にTシャツ、よれたジーンズ、履き潰したスニーカー。どこぞの勇気と無謀を履き違えた若者が、こんなところにわざわざ入ってきたのか。 「おお、テメエ、よくこんなトコロに来たな」 「なんかすげえことになってるって聞いてさ! 俺、モノホンの銃って見たことねえから見てみたいなって……あ、そうだ、カノジョとここで待ち合わせしてんだった」 「ヘエ。良いぜ。その勇気を讃えて、カノジョに一目あわせてやろうじゃねえの。ここにいたら、だけどな」  扉の目の前にあるカウンター脇に立っていた男は、陽気にやってきた侵入者の肩を組み、親しげに声をかけた。照明で鈍く輝く拳銃を横腹につきつけ、意地悪く口端を吊り上げる男に、窓際とカウンターに立つ男たちがゲラゲラと笑う。 「オラ、こっちだ」 「ヒッ」  押し当てられた銃口に今更恐怖が襲って来たのか、短く悲鳴と手を挙げて、震える足で若者は前へ進む。そこかしこから短い悲鳴が上がる。乱暴に床へ突き飛ばされた馬鹿な野郎の眼前に銃が突きつけられた。 「ひとりでノコノコ来たことだけは褒めてやってもいいが」  その台詞で大凡のアタリをつけた男たちは、ニヤニヤと笑いながら手に持った銃をこれ見よがしに掲げる。あちこちから聞こえる、息を呑む音。 「ああそうだ。カノジョがいるんだろ? 誰だ? ホラ、勇敢なカレシ様が助けに来てくれたぞお!」  当然ながら声を上げる者は誰もいない。それに更に愉快そうに笑う。 「お、俺は、その、マジモンの銃をナマで見てみたいって……」  瞬間。青年の足元に弾丸がひとつ。上がる悲鳴。撃った男を引き攣った顔で見上げる大馬鹿者。 「お望み通り見せてやろうか? あ? テメエでなあ!」  もう一発。上がる悲鳴。 「おい」 「わかってるっつーの」  拳銃を持つ男は手をひらひらと振りながらセーフティを掛け直す。 「……い、いやいやいやいや。俺、マジモンの銃を見たいとは言ったけど、撃たれたいなんて思ってないって……」 「ごちゃごちゃウルセエなあ」 「すんませんっした! 俺帰っていいっすか!?」  じりじりと下がる若者の手が、小さな子どもの手に当たった瞬間。情けない悲鳴が響く。あんまりな内容に、男たちは声を上げて笑い出した。 「こりゃ傑作だ! いもしねえカノジョを助けに来た挙句、ひとりで尻尾巻いて逃げようなんてな!」 「ママのベッドが恋しいなあ!」 「ただなあ」  奥にいた男が進み出る。誰もが固唾を飲んで事の成り行きを見守る。その空気に耐えられなかったのか、ずっと我慢していたものが弾けてしまったのか。子どもの大きな泣き声が響いた。母親らしき女性が、必死に落ち着かせようとさするその手も震えている。母親の不安が伝わったのか、子どもの声が更に大きくなる。 「おい、早く黙らせろ」 「すみません、すみません……!」  その様子を遠巻きにする人々。近寄る男。銃口が子どもと母親に向けられた時、静かな声が響く。 「……あの」  新たな声に一斉に視線が集中する。全身を真っ黒い服で覆った、細身の男だった。顔立ちはまだ若そうではあるが、奇妙な落ち着きが年齢をわからなくさせている。 「その子。外に出してあげたらどうですか。その様子じゃ、中の様子なんてロクに伝えられないでしょうし。他の子達も。ちょっと可哀想ですよ」  平坦な声音で言い切り、男は伺うように首を傾げる。人形めいたそれにたじろいだのか、銃口の先が変えられる。ざっと周囲が音を立てて人が引いた。 「なら選ばせてやろう。ガキどもをここから出すか、テメエが死ぬか、だ」 「僕が死にます」  男は間髪入れずに告げる。何も写していないかのような瞳が、銃口から指先、腕、首筋へとゆっくり移っていく。そうして、ひたり、と視線が合わさった。銃口がブレる。止まぬ泣き声は、つられた子どもたちによって大きな合唱となっていく。 「そうか。なら死ね」 「子どもが先です」 「……いいだろう。煩いガキだけ放り出せ」  大きな男たちの手に、子どもたちは簡単に攫われていく。泣き喚き、暴れる怪獣どもを外へ追い出す。それに、子どもとは無関係の男性客も手伝わされた。当然、情けない悲鳴を上げていた男も。レジカウンターの前にある扉を開けてすぐにある勾配の急な階段から転げ落ちないように慎重にその背を押した。  全員が階段を降りたのを見届けると、拳銃を掲げた男が早く中に入るように促す。それは、流れるような早業だった。銃を持つ男の手首を掴み、思い切り引き寄せ、腹部に膝を叩き込む。くの字に折れた衝撃で緩んだ手から拳銃を取り上げ、素早くセーフティを掛けると、下がった男の後頭部に肘を打ち下ろした。気絶した男は、中からも外からも見えないように、階段の半ばに落ちないように放置する。 「おい、バカな真似はしてねえだろうな」  戻ってきた客に、窓際に立つ男が銃を向ける。手を挙げて素直に従う客は、一様に顔を縦に振り、もといた場所へ戻る。 「あいつはどうした」  詰問の声。向かう銃口。誰かが唾を飲む音が、やけに響いた。周囲の客が一斉にひとりを見遣る。それに驚いたように声を上げ、若者は身体を震わせた。 「いやいやいや、俺じゃないって! 外でタバコでも吸ってんじゃ……ヒッ」  気の抜けたような音。火薬の匂い。若者の足元に銃痕が残る。 「予定変更。死ぬのはお前だ」  カウンターに立つ男の胸は、若者に真っ直ぐ向かっていた。 「なあ、どうせなら一緒にどうだ?」 「なるほど。カノジョを助けにきて、男と心中ってか。いいんじゃねえか」  窓際の男が愉快そうに口にすれば、カウンターの中から同意の音が帰る。対して広くはない店だ。店の奥側と入口付近。もしも同時にふたりが撃ち殺されることになれば、店内のどの客も血を浴びることになるだろう。 「いやいやいやいや。俺、死ぬなんてゴメンっすよ!」  若者は、静かに佇む男に視線を送る。男はゆっくりと瞬きを返した。  ひとつ。窓際に立つ男の拳銃が、真っ黒な男の胸に向けられる。  ふたつ。若者は怯えたように後ろ手をつき、腰を浮かせる。  みっつ。男たちの指が引鉄にかかる。  瞬間。激しい音と共に中の光景が一変した。  銃を突きつけられていた男は、手にしていたキーケースを窓際に向かって投げつけた。咄嗟に怯んだ隙に一足飛びに近付き、その手に持つ拳銃を蹴り落とした。音を立てて拳銃が落ちる。拾おうとするその胸倉を強引に掴み上げ、その額に思い切り頭突きを喰らわせた。  鈍い音を搔き消すように、銃声が響く。及び腰に見せかけ、低く体勢を取った若者は、先程男から奪った拳銃を腰から抜きがてらセーフティを外し、カウンターに向かって発砲する。驚いた男の弾道が脇にそれるのを確認し、素早くカウンターを飛び越え、勢いのまま男の顔面を蹴りつけた。カウンターに置いてあるディスプレイ用の酒瓶やグラスが派手な音を立てて割れる音が響く。  倒れた男をうつ伏せに転がして拳銃を取り上げ、その腕を拘束する。店が一気に静まり返ったのを確認して、黄色い頭をひょこり、とカウンターから上げた。 「すんません、ロープ的なのあります?」  緊張が一気に解れ、店内に歓声が上がる。店員が奥からガムテープを持ってきて、犯人ふたりの腕を念入りに巻いてた。

店内の客たちは警察官に連絡先をつたえ、怪我の有無を確認されると、続々と店を後にする。店の外に待機していたパトカーに乗り込み、マスコミや野次馬から離された上で解放された。  黒ずくめの男は犯人を挑発するような危険と隣り合わせの状況に自らを追い込んだことに対して厳重注意をされた上で解放された。しかし、散々場を引っ掻き回した若者は、犯人に四発もの発砲を許してしまったこと、無許可での発砲について説教が長引いたものの、無事に帰途につくことができた。 「お前、明日は覚悟しておけよ」  先輩からの、不吉な予告を残して。

「待たせてすみません」 「いえ……帰りましょう」 「あの、どこか、改めて食べに入りますか?」 「……その、家でゆっくりしませんか」  夜道を照らす月よりも明るい家路を、肩を並べて歩いていく。