むくり。いつものように身を起こす。わざわざ起こしてくれた蜘蛛に礼を伝え、同時に鼻の中に入る必要はないと伝える。伝わっているのかいないのか、かさかさと音を立てて壁の中の住処へと姿を消した。  別段、誰かと待ち合わせをしているわけではない。そういったことをしているわけではないが、いつぞや、肝試しとやらに塒に訪れた子どもたちと、日を置かずに遊びまわっているのも事実ではあった。  今日は何だったか。とっておきの花を見せ合うと言っていたような。花。普段から野山を駆け回っている連中に改めて花を見せる必要があるものか。それにしても、とっておきの花、とはどういうものなのだろうか。美味い花か。滅多に見かけぬ花か。はたまた見目の良い花か。生憎と良し悪しはわからぬものだが。  ふ、と一輪の花を思い出す。長いこと生きてはいるが、あれは見ぬ花だ。凡そ珍しいに違いない。  思い立ち、塒から這い出る。眩しい。

もぞり。陽の光の眩しさに、一層深く布団をかぶり直す。眠い。今日、学校はないはずで、だからこそ、思う存分惰眠を貪るために意識は夢の中へと落ちていった。

ぱちり。目が覚めてすぐに身を起こす。時計を見る。いつも通り。寝巻から着替えながら、今日の予定を頭の中で反芻する。学校は休み。確か、優良と鶫兄と、ついこの間肝試しをした先で知り合った藻繰と遊ぶことになっていたはず。  顔を洗い、身支度を整える。確か、とっておきの花を持っていく約束になっていた。  地下への階段を降り、明かりをつける。暖かい日が増えてきたにもかかわらず、どこかひんやりと薄暗いその部屋は、耳が痛くなるほどの静寂に包まれている。自分の立てた音が暗闇に反響し、ひとりであることをより克明に突きつけるその場所は、あまり好きではなかった。  壁一面に並ぶ棚へ素早く目を走らせ、その中から最近一番よくできた瓶を掴んで鞄に入れる。しっかりと閉まったことを確認し、人気のない家から飛び出した。鳥が悠々と空を羽ばたいている。

のそり。傍らでわめく時計を黙らせ、布団に転がったまま、ぼんやりと宙を眺める。暫くすれば、再び時計が騒ぎ出した。仕方なく起き上がり、音を止める。はて、今日は何かあったような。  覚醒しきらない頭は、顔を洗えば幾分かましになった。学校は休みのはずだが。否、大切な用事があるではないか。可愛らしい子たちとの用事が!  楽しい用事は大歓迎だ。トースターにパンを放り込み、その間に着替えを済ませる。すぐに焼き上がりを知らせる音が鳴った。マーガリンを塗りたくり、さっさと口へ運ぶ。  とっておきの花を持ち寄るのだったか。とっておき。その響きこそが既に愛おしい。前回、遊んでいる最中に優良くんが道端の花に興味を示したのがきっかけだったか。藻繰くんがそれに張り合って、颯矢くんがなら花を探すか、と。そう、それで、私がならばとっておきを見せ合おうと言ったのだった。  丹精込めて育てた鉢を引っ張り出す。育てようとすると案外虫が付くので面倒なのだ。落とさないように大切に抱えて、靴に足を入れる。ひとつ伸びをして、外へと足を踏み出した。今日もいい天気になりそうだ。

* * *

待ち合わせ場所である見晴らしの良い丘の上に立っている大きな樫の木の下に、子どもたちがばらばらと集まって来る。いつもであれば四つ集ってすぐに騒がしくなるそれも、今日は三つしか見当たらない。顔を寄せ合って何事か話をし、ひとまず待つことにしたのであろう。思い思いの姿勢で木の周りに腰かけた。  風に笑い声が混じる。話す内容は他愛もない。麓の村で祭りがあるらしいこと、見かけた奇妙な動物のこと、人伝に聞いた流行っているらしい遊びのこと。  半時ほどそうして談笑していたが、ついにひとりが立ち上がった。残りのふたりも頷いて立ち上がる。そうして、連れ立って丘を下りていく。三人は集まった時とは異なり、少しばかり顔に不安を覗かせていた。    目的の家に辿り着き、戸を叩けばすぐに目的の人物の母親が顔を出した。そうして、子どもたちを認めると、すまなそうに眉尻を下げる。そうして、少しばかり待つように言い置き、その戸が閉められる。 「優良! お友達よ! 起きなさい!」  何事かと顔を見合わせていれば、玄関の向こうからそんな声とともに階段を上がる音がする。大事でなくてよかった、と胸をなで下ろすよりも先にそろって吹き出した。

「ご、ごめん!」  大して待つこともなく、慌てて飛び出してきたのであろう待ち人が勢いよく戸を開けた。後ろから叱る声が飛んでくる。それにおざなりに謝った最後のひとりは、深々と頭を下げた。後ろ気が大きく跳ねているのに、三人は笑いながら声をかける。 「何もなくてよかった」 「寝坊するならちゃんと言ってくださいね!」 「なあ、跳ねてるぞ」 「えっ、ウソ!?」  心配するでしょう、と続ける鶫の声に被せるように、藻繰が指摘する。ば、と音がするほど素早く後ろ髪に手を当てた優良は、その感触にがっくりとうなだれた。 「優良くん、返事は?」 「ごめんなさい……」  重ねられた問いに消沈したまま答えれば、至極楽しそうな顔がよろしい、と続ける。そうして、握った拳を高くつき上げた。 「それでは、『とっておき』発表会ですよー!」  楽しそうな声とともに、野を駆けていく。あっという間に遠くなるその背に置いて行かれまいと、三人も慌てて後を追った。

* * *

ふたたび戻ってきた樫の木の下で、四人はそれぞれ腰を落ち着ける。いの一番に、鶫が持っていた鉢を突き出した。 「私はこれです!」 「え」  思わず、と言わんばかりの優良の声に、六つの視線が一斉に集まる。注目された優良は恐る恐る、後ろ手の花束を差し出した。 「あの、これ、なんだけど」 「おそろいですね!」  それは、濃淡こそ違えど、全く同じ、緑色のカーネーションだった。すごい偶然だ、とくすくすと笑い合う。 「俺様のとっておきの方がすげえんだからな!」  言う割に何を出す様子もない藻繰に、三人が首を傾げる。藻繰は胸を張った。今から行くぞ。

荷物があろうと、それはシノビの子ども。歩きにくい獣道もすいすいと登っていく。山の奥の方にある、余人が近づかないであろう場所に、それはあった。 「うわ、すっごーい!」 「見事ですねえ」 「……すごいな」 「へへ、俺様のとっておきだぜ!」  そこは、山の中の開けた場所。木々が生い茂ってはいるものの、地面にまで木漏れ日が通り、過ごしやすい場所だ。そこに、一面花が咲き誇っている。 「あ!」 「何かあったか?」  優良が声を上げて一輪の花に駆け寄った。様々な花が咲き乱れる中にあるそれは、先ほど樫の木の下で見せ合った――。 「カーネーション、だな」  嬉しそうな優良に、自然と笑みがこぼれる。たくさんの花がある、と話をしていれば、優良が振り返った。 「ねね、颯矢は?」  言われて取り出したのは、ひとつのガラス瓶。細長いそれに乾燥した花弁が詰められている。 「花びら?」 「乾いてんのな」 「薬草ですか?」  まじまじと見る三人の視線を受けて、颯矢は頷く。 「瞿麦だ。……カーネーション、とも言う」  驚いた声を上げて六つの瞳がまじまじとガラス瓶へ向かう。乾燥するとこんなふうになるのか。初めて聞いた。どんな薬効があるのでしょう。美味いのか? 美味しくはないのでは? 「……あれ?」 「どうした?」  優良が声を上げる。これ、緑色じゃない? 「……そうだな」 「おや」  むずがゆそうな顔をして肯定した颯矢の横で、今度は鶫が声を上げる。視線の先は、花畑。その中の、一輪の花。 「ここにも、緑色のカーネーション……みんなおそろい、ですね!」 「すごいや!」  聞いたとたんに飛び込んできた優良を支えきれず、結局四人まとめてごろごろと地面に転がった。そうして、誰からともなく笑い合う。  山の中の、花畑。緑色の風が、草花も、四人の髪も、優しく揺らしていた。