身体を這い上がる寒気に意識が浮上する。目の端がちかちか光っていて、誰かの話声がする。内容が聞き取れない。知らない言語。ここ数日で聞き覚えのある言語。切羽詰まった声音で何かをまくしたてている。 「うわ」  思わず、と言ったように漏れた言葉。こちらは耳になじみのある同居人のものだ。うっすらと目を開ければ、ミネラルウォーターを呷る同居人の視線がテレビのニュース映像に釘付けになっているのが見える。 「……なに」 「ああ、おはよう。事件だって」  今日はもうクリスマスイヴだというのに、キャスターが深刻な顔をして読み上げる事件とは。微笑ましいエピソードが待っている、というオチなのでは。眉をしかめれば、概要を話し出す。 「焼死体が見つかったって」 「は? 何それ」  被害者の名前はマルクス・ハインバッハ。二十六歳。ゾーリンゲンの工房で修行中。昨日は勤務を終えてそのまま帰宅したとのこと。これは従業員複数名が証言している。遺体の発見場所はエルプフィルハーモニー。自宅とも職場とも離れた場所で発見された理由は不明。一晩にしてなぜミイラ化したのかも調査中。 「起きちゃったか」 「まあ予想通りだね」 「というか、あれから寝ちゃったのか。ごめん」 「いいよ、別に。きのうも結構歩いたしね」  同居人は大したことはない、と気安く肩を竦めた。様になるそれに軽く頷くことで返し、大きく伸びをする。妙な体勢で寝てしまったせいか、凄まじい音がすることを気にしてはならない。同居人がすごい顔をしている気がするのも気のせいだ。 「そういえば、なんで日本で報道されてない訳? マスコミも食いつきそうなのに」 「ネットニュースで多少騒がれてる程度みたいだね」 「知ってたら辞めてたのに」  心底嫌そうな顔をしても、キャンセル代がもったいないでしょ、とにべもない。二件目の事件が起こった二週間前の時点なら多少はマシだったのではないだろうか、なんて詮無い事を考えつつ、続きを促す。 「今日、どっちだと思う?」  この図形がわざわざ中心点を作っている点、その中心点に聖ニコライ教会が該当する点、飛び出た先がアルスター湖である点を鑑みると、一概にどちらかを確定させるのは難しい。 「……まだわからない、かな。案外両方だったりして」 「……ああ、うん。そうかもね」  互いに予想はあるものの、確定には至らない。昨日はアルスター湖で人影を見たばかりでもある。確信を得るための情報を求め、部屋の扉に鍵をかけた。

いつもの巻き込まれ方であれば、街の図書館やら郷土資料館に行くところであるが、そこで何かがわかる可能性をあまり感じない。遺体が発見されたのが最近であるという点。一週間に一度というサイクルを今朝になって破った点。被害者に共通点が見当たらない点。ならば聞き込みをするのが良いだろう、という結論になった。  ひとまず、フランクの喫茶店へいくことに決めた。聖ニコライ教会も近いのだからうってつけだ。地元の常連客も多いようであったし、何かしら知っている人間がいるだろう。 「グーテン・モルゲン」  カラン、と高らかにベルが来訪を知らせる。飛んできた挨拶に言葉を返せば、嬉しそうに破顔するのが見えた。流石におはよう、くらいは覚えた。  促されてカウンター席に座り、朝食を兼ねてサンドイッチを頼む。ここにきてから毎日サンドイッチを食べているが、食には対してこだわりがないし、特に飽きることもない。同居人はいささかうんざりしているようにも見える。そんなに嫌ならシリアルにでもすればいい、と思うが、それはそれで嫌らしい。難儀なことだ。 「今日はどうしたんですか? この街をまた歩く気になりましたか?」 「いえ、今朝のニュースを見たので、何か危ないところがあるのであれば知っていた方がいいのかな、と」 「ああ、せっかく観光に来てくれたのに、こんなことが起きているなんて恐ろしいったらない」 「何かご存知であれば教えてください」  そうして聞き出した話はこうだ。先月ごろから、ローブを身に纏った人間が、度々この辺りに現れるようになった。何かを探している、というよりも検分をしているかのような、見定めているかのような印象を受けたという。  常連客からも似たような連中を見た、という話を聞いており、昨今の遺体が発見される前の晩には連中がいるのを見た、という。 「その話、警察には?」 「私はしてませんが、誰かは話しているんじゃないですかね。いかにも、な恰好をしてるってもんで、警察もマークはしているようですけれど、未だに捕まってはいないようですよ」 「仲間と共に一網打尽にするのを狙っているんでしょうか」 「それで人が死んでちゃ意味はないでしょうよ。パトロールは強化されているでしょうが」 「もし次があるとすると、いつだと思いますか?」 「今朝がありましたからね……正直、明日もあるんじゃないかと思っているんです」 「どういうことです?」 「アドベントですし……なんというか、ろうそくのようじゃありませんか?」 「すみません、アドベントとろうそくにどう繋がりが?」 「ええ? ……ああ、あなたはクリスティアンではないのですね。アドベントというのは、クリスマスの四回前の日曜日から、ハイリヒアベントまでのおよそ一か月間、イーザス・クリストの生誕を待ちわびる準備期間のことです」 「ハイリヒ……なんです?」 「ハイリヒアベント、十二月二十四日のことです。わかります?」 「ああ、クリスマスイヴ」 「そうです。毎週日曜日の朝、アドベントクランツに一本ずつ火を灯し、クリストシュトレンを切り分けて家族でお祝いをするんです」 「アドベントクランツ?」 「ええと、リースの上にろうそくが四本飾られたものです」 「リースって、壁にかけるものではないのですか?」 「かけるものもありますが、置くものもありますよ。ワイナッツマルクトにもあると思います」 「そうですか」 「それから、クリスマスイヴにツリーを用意するんです」 「思っていたよりも遅いんですね」 「ツリー自体はアドベントよりも前に用意します。本物のもみの木を家の前に置いておくんですよ。クリスマスイヴに家の中に入れて飾り付けをして、ろうそくに火を灯すんです」 「木に本物のろうそくを灯すんですか?」 「ええ、そうですが……?」 「いえ。火事にならないのかと思いまして」 「そういう心配ですか。火のついたままのろうそくが床に落ちたり倒れたりしないように気を付ければいいのです」 「なるほど」 「うちも、今朝娘が一生懸命ツリーの飾り付けをしてくれたんですよ」 「それは何よりですね」 「明日はクリスマスですからね。ああ、今日は午後から店を閉めるので、来ても食事はできませんよ」 「それは残念。他のお店も閉まってしまいますか?」 「そうですね。今日は短縮営業の店が多いのではないでしょうか。二十五日と二十六日は祝日なので、休みの店も多いと思いますよ」 「それは大変だ。お土産を買うなら今日までですね」 「いつまでこちらに?」 「二十七日の朝の便で」 「なるほど。駅や空港の店ならやっているとは思いますが。市庁舎とアルスター湖も年末までやっていますよ。ぜひ色々見てくださいね」 「ありがとうございます」  頼んだコーヒーとサンドイッチを食べ終え、手を振って店を出た。    ぶらぶらと歩き回りつつ、例のバッチをつけている人物がいないか見て回る。点在する現場を回りながら、フィナーレを飾る場所の確信を得た。十四時になってしまえば店舗は閉めてしまうところが多いようなので、入り用のものを調達しに店を回る。

人通りもすっかりなくなった深夜。ろうそくの明かりで明るく照らされていた通りも、今はひっそりと静まり返っている。今頃街の住民は誰もが聖なる夜を家族と共に祝福しているのだろう。この者たちを除いて。  聖ニコライ教会。廃墟となったその教会前にある広場になっているそこには、濃紫のフードを被った人間が集まっていた。大きなタイルを区切るように、小さなタイルが梯子のように線を引いている。その交点となる位置に四人が、後ろにひとり、教会と正面に相対するように立っていた。 「梅雨払いは任せて、芳矢さん」 「よろしく、青」  五人を囲むように、同じフードを被った人々が並んでいる。これから始まる儀式を見届けるためか、参加するためか。痛いほどの静寂。  そこへ、同居人が勢いよく飛び込む。  この呪文を唱えきられる前に、原因を排除しなければならない。目の前の人々をその長い足を活かして同居人が蹴倒していく、どころか数人まとめて薙ぎ倒していく行く様から視線を反らしつつ、人垣を割って中心へ向かう。  ひとり、仰向けに横たわっているのが見えた。生きているのかいないのか、その身体は微動だにしない。腹の上で組まれている手は青白い。ミイラと化している。  同居人が、外から中心へ人々を巻き込みながら移動していく。ついに一角が崩れた。どうにか排除しようともがく連中の合間を縫っていく。  沈黙を守っていた一人が手をあげた。途端に、昼間も鳴り響いていた、どこか不安になりそうな旋律が鳴り響く。その人物のもとへ歩き出した。 「何を、しようとしているんですか」 「神を」  まっすぐに鐘を見上げる男が言う。一切の迷いなどないかのように。それこそが思考であるかのように。 「わたしの神を、呼ぶのです」 「それで、あなたはどうするのですか」 「わたしは、もう随分前に以前のわたしではなくなってしまったのです」  はらり、と目深にかぶったフードが落ちる。きのう、カフェで出会った老紳士だった。ダイヒトーアハレンを薦めてくれたのも、ライスハレを候補に挙げたのも、この人だ。 「わたしには、いつからかもう一人のわたしが住みつくようになってしまいました。妻を亡くしてから、大陸を転々としたものです。しかし、頭の片隅でいつも、もう一人のわたしが囁きかけてきました。仲間を増やせ、神を呼べ、この身を神に捧げよ、と」  老紳士は、昼間の活力が嘘であったかのように、くたびれた様子で語る。 「この機会はいいかもしれない、と思いました。アドベントに主とは異なる神に捧げるために祝う……前途溢れる若者達には、悪いことをしてしまいました」 「それで、あなたはこれからどうするのですか」 「もう、やめようと思います。死に方はわかっているのです。いつでも死ぬことができます。でも、その勇気が出なかった……死場所を求めて彷徨っていたのかもしれませんね。それこそ、亡霊のように。あなた達が、わたしを見つけてくれてよかった、と心から思います」 「それで、あなたは満足なんですね。死んだように生きて、そして何も見出さないまま、何も生むことのないまま、死ぬんですね」 「それだけのことをしましたから。異教の神を心に宿したわたしには、審判にかけられるまでもなく、地獄に落ちるでしょう。妻に会うことはかないませんから」 「それはおかしいですね。眼から鱗が落ちたように回心したパウロは、もとは異教徒であったはずです。それが聖人として数えられている。人を殺たことはなかったことにはなりませんが、罪を悔い、償うことはできます。死んで地獄に落ちて、それで終わりとして、本当に、いいのですか?」 「……そう、ですね。六つの命を奪ったことは無くなりません。ならば、わたしにできることをしましょう。それが、わたしにできること、ですね」  老紳士は微笑む。憑物が落ちたような顔をしていた。 「しかし、儀式を止めることはできません。始めてしまったものは、終えなければなりませんがーーわたしは、その方法を知らないのです」 「僕が、知っています。簡単ですよ。呼ばずに還せば良いのです。還すときは、呼び出すための呪文を逆から読めばいい」  頷いて、老紳士が呪文を唱え始めた。朗々とした声は、老いを感じさせない、力強い声だ。 「くんなふ かえはでぃお なふくじぇんうぁ ふるくぁ えうぃんふぉじくるど」  掲げたコインが光を集めたかのように輝く。刹那、目もくらむ光が辺りを満たした。真昼よりもなお眩い光に、とっさに目を瞑る。

光が収まったとき、立っているのは僕と同居人だけだった。