桜はとうに散ってしまったものの、まだまだ夏の日差しには遠い、そんな時分。東福寺の近く、ひっそりと隠れた位置にある甘味処「あび」の暖簾をくぐれば、平日の昼間だというのに店内は賑わっている。 「お、いらっしゃ~い」  店に入った途端、ゆるく声をかけてくれたのは、薄墨色の着流しを着た男性だ。神凪という名前らしい、というのはずいぶんと前に聞いていた。 「神凪さん、こんにちは」 「うんうん。キミ、最近見なかったねえ。忙しかったの?」 「あ、ちょっとレポートが溜まっちゃってて……ここでやるのも申し訳ないですし……」 「ええ? 別にそんなの気にしなくていいのに~」  この辺りに住んでいる私は、中学生の時にこの店を見つけて以来、お小遣いを貯めてはここに足繫く通っていた。かれこれ10年近くなるだろうか。  神凪さんはどうやら店員らしいが、この店で働いているところを見たことがない。同い年くらいのマロンちゃんや夜ちゃんはちゃんと働いているのに。お客さんと話をすることが仕事、何て言っているが、全くもって意味が分からない。テレビで見るバーのマスターやらスナックのママでもちゃんと店員として仕事はしていると思う。 「わ、なんか久しぶりじゃん。来てたんなら言えよな~」 「マロンちゃん。ごめんね。ちょっと忙しくって」 「高校の時も思ってたけどさ、大学生も忙しいん?」 「まだ1年生だから何とも言えないかなあ……」 「ふうん……楽しい?」 「うん。楽しいよ」 「そか」 「うん」 「いつものでいい?」 「ありがと」  お冷を置いたマロンちゃんとちょっとだけ話しをする。  入学してからこっち、サークルだとか授業の選択だとかバイトだとかでバタバタしてしまい、少しばかり足が遠のいていた。1か月以上間が空くのは初めてかもしれない。受験勉強もここでしていたくらいだ。この店にはずいぶんと世話になっている。 「どう? 大学」 「なんだかんだ楽しいですよ。全部自分で決めるっていうのが初めてでちょっと戸惑ってますけど」 「ま、それも大人になるってことさ」  神凪さんと話をしていれば、机にマグカップがコトリ、と置かれた。未だにブラックコーヒーが飲めない私が頼むカフェラテ。 「夜ちゃん、ありがと」  置いてくれた腕を見上げれば、夜鷹ちゃんが目を丸くして、ぱちぱち、と瞬きを2度した。毎回呼んでいるのに、毎回同じ反応をするのだからなんだかおもしろい。 「……え、と……どういたしまし、て?」 「うん」  小首を傾げた夜ちゃんは、こくり、と頷いてカウンターの方に戻ってしまった。いくつになってもどこかあどけない仕草が放っておけないと感じるのだが、もうずいぶんと長い付き合いなのに、未だに距離は詰められていない。 「あっ」  カフェラテを飲もうとマグカップを持ち上げれば、そこには可愛らしい猫のお腹に「congratulation!」の文字。顔を上げてキッチンの方を見れば、カウンター越しに気付いた祝さんがぱちり、とウインクをしてくれた。  嬉しくて頬が緩む。飲むのがもったいなくて、マグカップをいったん机に戻し、いそいそとバッグから端末を取り出す。 「改めて、大学合格おめでとうございます」 「わわ、アスカさん! ありがとうございます!」  ぱちり、と撮ったところに三色団子が置かれた。今日のおすすめらしい。持ってきてくれたのは、最近入ってきたアスカさんだ。重度のシスコンなのが玉に瑕だが、それを差し引いても美人さんで、大学デビューするときにメイクを少しだけ教えてもらった。  服のセンスもいいから、春休みの間に無理を言ってイヨちゃんと一緒に服を買うのに付き合ってもらったのは記憶に新しい。おかげでちょっとオシャレ、として通っているのだから、アスカさんには頭が上がらない。 「うん、今日の服、似合ってるね。その色のスカートかわいいよ」 「えへへ、ありがとうございます。嬉しいです!」  はにかみながらお礼を言えば、にっこりと笑みを返してくれる。男性客にはとことん塩対応なのを知っているから、視線を感じても役得だなあ、としか思えない。ううん、もしかしてこれがマウント、ってやつ? 「またお買い物行きましょうね!」 「いいですよ」  カウンターへ戻ったアスカさんを見送って、お団子を入れて写真をもう1枚。おいしそうに撮れていることを確認して、インスタにアップした。  頬張った団子は柔らかくてもちもちとしていて、いくらでも食べられそうだ。頬を緩めながらバッグを漁ってノートとペン、それから課題図書を取り出す。それからしばらくメモを取りながら課題図書を読み進め、切りのいいところで本を閉じる。時計を見れば、2時間ほど経ってしまっていた。 「あれ? 久しぶりじゃん。来てたの~?」 「あ、律火さん! 今日はシフト入ってないのかと思いました」 「うん、今日はお休み。ちょっと用事があって寄ったんだ~」 「そうなんですか?」 「うん。あ、おかき買ってこ」  スタッフルームに引っ込んだ律火さんはおかきを持ってキッチンの祝さんと何事か話してからこちらに向かってきた。 「じゃ、私は帰るね」 「はい。また」 「律火、今夜よろしく~」 「オッケー」  わざわざ声を掛けてくれた律火さんに、神凪さんが声をかける。それに軽く返事をして、律火さんは店を出て行ってしまった。今夜……? もしかしてこのふたりは、もしかするともしかするのだろうか。それにしては色気が……?  ぱちくり、と目を瞬かせながら神凪さんを見ていれば、へらり、と笑みを向けられた。その笑みは一体……? 「お代わりどうする?」 「ん、今日は帰るよ」 「そ? まあ、もう夕方だしな」 「うん。また来るね」  どう扱っていいかわからない情報に戸惑っていると、マロンちゃんが声をかけてくれた。カフェラテもなくなってしまっていたし、ちょうどいい頃合いだ。さすがタイミングがいい。 「ほいほい、じゃあ600円ね」 「あれ、お団子は?」 「今日はサービス。合格祝いね」 「ええ、前もサービスしてもらったのに……」 「いいっていいって。じゃ、また来てよ」 「じゃあお言葉に甘えちゃお。ありがと」 「どーいたしまして。気を付けてな」 「うん、また来るね」  お言葉に甘えて600円。こんなに長居したのに申し訳ないなあ、なんて思いつつ、適度に構ってくれて適度に放っておいてくれるこの店の居心地はとてもいい。常連ばかりで顔見知りが多いのも気軽に来れる理由の一つかもしれない。  夕暮れに染まる京都の町を歩きながら、次はいつ来ようかな、と考えた。